LOGIN今日もいつもと同じ時間に起き、いつもと同じように出社する。 変わらない毎日。日本での生活にも慣れた。 両親がいない俺にとって、育ての親である祖母には感謝をしているが、一生アメリカに住みたいというこだわりもなかった。 日本に行く俺を見て、祖母は涙を流してくれた。 それだけで十分だった。「おはようございます」 出社し、自分の席に着く。 次々と出社してくる上司や同僚に淡々と挨拶をする。「黒崎さん、おはようございます」 「おはようございます」 毎日必ず挨拶をしてくれる女性社員がいた。 彼女がつけている強い香水の香りは、あまり好きではなかった。 「今日の飲み会、黒崎さんは行かないんですか?」「はい」 飲み会、誰かに気を遣いながらの酒は好きではない。 会社全体をあげての会には参加をするが、個人的に誘われ行われる酒の席には極力参加しないでいた。 付き合いが悪いだとか、別に他人にどう思われようが良かった。 ただ仕事さえできていればいい、上辺だけの人間関係なんて必要がない。「えーー。たまには来てくださいよ。みんな黒崎さんが来てくれるの期待してるんですよ?」「すみません」 変わらない俺の反応を見て「次は来てくださいね!」 彼女はそう言って去っていった。「黒崎、朝から人気だな。イケメンなんだから、もっと優しくしてやれよ」 「緑川さん、おはようございます」 俺の肩をポンと叩いてきたのは、上司の緑川さんだった。 もう少しで退職するらしい。 緑川さんは仕事ができ気配りもできる、尊敬できる上司だ。 数少ない尊敬できる上司がいなくなるのは、残念に思う。「お前、本当に女の子に興味ないのか?」「あまり……」「あの子なんて毎日お前に話しかけているじゃないか?可愛いし、まぁ仕事はできないかもしれないが、愛嬌はあるぞ?」「すみません。興味がなくて……」 緑川さんには正直に自分の気持ちを話せた。「そうか、まあ、まだ若いからな。焦ることはないと思うが、いつか良い子が現れるといいな」 そう声をかけて自席に戻って行った。 休憩時間、廊下を歩いていると「黒崎さん、冷たい。でも諦めたくない。すっごいタイプなんだもん」 喫煙所から聞こえてくる声には聞き覚えがあった。 毎朝話しかけてくる女性社員だとすぐ理解した。「あんなに冷た
「緑川さん、いろいろありがとうございました」 美桜から見えない場所で、緑川さんを呼び出し、挨拶をする。 なぜ見えない場所に呼び出したかというと 「おい、お前から連絡があった時はかなり驚いたよ。正直、なんで俺に託すんだよって思ったわ」 緑川さんは、頭を搔きながら苦笑いを浮かべていた。 「すみません。信じられる人が緑川さんしかいなくて……」「俺しかいないって言ったって、会社の裏取引の証拠なんて俺に送りつけてくるなよな?焦ったわ」「すみません」 もし自分に何かあった時のために証拠として残したUSBは、緑川さんに頼み、彼に保管してもらっている。「まぁな、社長も頭おかしいことするよな。あの証拠は安心しろ。お前に関わった以上、俺が責任を持つから。その代わり、お前ら絶対別れるなよ。絶対幸せになれよ。またここにちょくちょく来いよな?」「はい、約束します」 緑川さんに一礼をする。「うん、応援してるからな」 緑川さんは、俺の頭をくしゃくしゃに撫でまわす。「ちょっ!」 日本に来て、美桜以外にこんなに信用できる人物は彼しかいなかった。 兄がいたらこんな感じなのだろうかとふと思う。・・・ 美桜のところへ戻る。 「お待たせしました。さぁ、行きましょうか?」 車を出発させ、海へ。 せっかくなので、二人で初めて行った海岸へ行くことになった。「初めてデートしたところですよね?」 波打ち際を手を繋いで二人で歩く。「そうですね」「なんか、すごく昔のように感じます。何年も前も……。もう、私、蓮さんと離れたくないです」 蓮さんがいないだけで、毎日が違う。 逆に、彼がいてくれれば何もいらない。 そう思う。「もう離れません。約束します」 手を繋いでいる彼と目が合う。 そして、彼は歩くのを止めた。「蓮さん……?」 静かな時間が流れる。 波の音だけが聞こえた。「美桜、俺と結婚してください」「えっ?」 結婚……結婚……!?「結婚!?」「もちろん、すぐってわけではありません。美桜が大学を卒業して、落ち着いてからと考えています」「その時はまた正式にプロポーズをさせてください。指輪とともに」 蓮さんと結婚……。 答えはもちろん決まっている。 「私で良かったら……」 彼は私に近寄り、チュッと軽く頬に
それからーー。 二カ月後、私の生活はあまり変わらなかった。 でも、毎日蓮さんとは連絡を取り合っていたし、お金も蓮さんが負担してくれたおかげで、仕事を休めるようになった。 日程が合う時は、蓮さんが会いに来てくれる。 母の体調も回復、無事退院できることになった。 あと少しの期間は地元に残ろうと思ったが、母から「あとは大丈夫だから。ありがとう。自分の好きなことをしなさい」 そう説得させられ、東京に戻ることになった。 大学を休学していたが、再び通学することになり、久しぶりに優菜と再会をした。「美桜ーー!!」 勢いよく抱きついてくれる優菜。 再開した時は、二人で号泣してしまった。 一つ大きく変わった点と言えばーー。 ガチャっと玄関のドアが開く音がする。「おかえりなさい!」 パタパタと走りながら、彼を迎えに行く私。「ただいま」 彼はチュッと軽くただいまのキスをしてくれた。 東京に戻り、蓮さんと同棲をすることになった。 昔住んでいたアパートは地元に帰る時に解約をしてしまった。 もちろん最初は違うアパートを貸りようと思っていたが、蓮さんが「一緒に住みましょう?そうしたら家賃分、美桜の実家の方に送れますし…」 そんな提案をしてくれた。 一応母にも了承を得て、蓮さんと二人で暮らしている。「今、着替えてきます」 そう言って蓮さんは、部屋着になるために寝室に向かった。「おいしいです。ありがとうございます」 私の作った夕ご飯を食べながら、蓮さんは毎回お礼を伝えてくれる。「新しい会社はどうですか?大変?」「うーん。そうですね。まだ慣れていないところもありますが……。ほぼ前と同じ仕事内容なのでその辺は助かってます」 蓮さんの仕事も順調そうだった。まだ残業もそれほどなく、帰って来てくれる。「美桜は、明日はアルバイトでしたっけ?」「はい。そうなんです」「わかりました。じゃあ、俺の方が帰りが早いと思いますので、夕ご飯作っておきますね」 私は昼間は大学、講義が終わってからは前ほどではないが、アルバイトをしていた。 店長の計らいで、以前と同じ珈琲専門店のカフェでアルバイトをしている。 アルバイト代はほとんど実家に送っている。 家賃、食費などの生活費は蓮さんが負担をしてくれている。 本当に有難いと申し訳ないという気持ちでいっ
それからも美桜と連絡も取ることができず、俺からも接触は避けていた。 そんな日、美桜が急に俺の前へ現れた。 まさか彼女が来てくれるなんて。 今すぐ抱きしめたい、抱きたい。すべてを話してしまいたかった。 けれど、それでは今までのことが無駄になってしまうかもしれないから。 彼女はとても悲しそうな顔をしていた。 そして電話を終えて部屋に戻ると「さよなら」の手紙が置いてあった。 当たり前だ。自分が嫌われたと思って勘違いしてしまうのも無理はないし、俺が美桜に感情がないと思ってしまうのもこんな態度をとっていればそうなる。 ギュッと手を握りしめる。絶対にすべてを終わりにさせて、迎えにいく。 何度だって謝る。美桜が許してくれるまで。 例え、美桜に気持ちがなくなっても、もう一度好きになってもらえるよう努力する。心の中で決めた。「黒崎くん、話ってなにかな?」 俺は社長室に一人訪問をしていた。 アポイントはとっておいた。<亜香里さんのことで>と。 社長は俺の本来の目的を勘づいてはいない。「亜香里さんから脅されているんです」 俺は先日録音した彼女とはじめて食事に行ったレストランの時の音声を社長に聞かせる。 社長はぴくっと眉を動かしたが「こんなこと、娘がするわけがない。きみが作った音声なんじゃないのかな?AIも進化している。作られたものだ」 納得していない。「信じてくれないのであれば、鑑定に出しても良いです。それと、これを見ていただきたいんですが」 俺は自分で調査していた会社の収支報告書の不正を社長に資料として渡し、説明する。 ここから、絶対に挽回してやる。「何がしたんだ?」 社長はデータがすでにどこかに送付されていることに怯えて、声が震えていた。「この会社を辞めます。その変わり、もう二度と、俺に関わる人たちすべてに関わらないでほしい。それだけの簡単な条件ですよ」 やっと交渉できるまでに整った。 俺になにかあった時に頼むと、緑川さんにデータを送ってしまったから。 緑川さんにだけ迷惑をかけてしまったけど。彼なら笑って許してくれる。 これで美桜のところへ迎えに行ける。 彼女は、こんなことをしてしまった俺を受け容れてくれるだろうか。 柄にもなく人生で一番緊張していたと思う。すべてを美桜に話した。 彼女はこんなにも酷いことをしてしまっ
「黒崎さん。焦ってますかー?可愛い。別に何もしませんよ。もっと黒崎先輩から優しくされたいだけです。私、黒崎先輩のことめっちゃタイプで。推しからは優しくされたいのに、黒崎先輩、全然心を開いてくれないからぁ」 俺に優しくされたい? もし断ったら、祖母の方は予想できる。 美桜に何をする気だ。「俺がこのままだったらどうするんですか?」「えっと。黒崎さんの大切なものを壊したくなるかもしれません」 彼女はふふっと上機嫌に笑っている。「わかりました。大竹さんの指示に従いますよ」 俺は観念したかのように、ふぅと息を吐く。「えー。嬉しい。指示ってなんか、私が黒崎さんのこと支配しているみたいで。なんかゾクゾクしますね」 この子は、性癖も変わっているのか。「今日から黒崎さんは、私の黒崎さんです」 大竹さんはそう答え、追加で注文していた赤ワインを飲み干した。 絶対こんな状況、早く乗り切ってやる。 美桜には危害が加わらないよう、今は極力接触するのはやめよう。 大竹さんはお酒を飲みすぎたみたいで、運よく泥酔状態だ。 この後、ホテルにでも誘わるかと思ったけれど、運が味方をしてくれた。 彼女をタクシーに乗せ、別ルートで帰る。 美桜へ連絡し、会いに行く。しばらく会えなくなる。電話もメールも控えなければならない。 大竹さんが何を考えているのか、わからないうちは連絡もできない。「俺を信じてくれますか?」 美桜にそう告げると「はい。信じます」 美桜は迷いなくそう答えてくれた。 もっと抱きしめていたいけれど。「仕事でしばらく会えなくなります。すみません」 そう伝え、その場をあとにするしかなかった。 美桜は「わかりました。お仕事、無理しないで頑張ってください」 いつもと変わらず優しい笑顔で伝えてくれて。必ず迎えに行くと決めていたのに。「黒崎先輩。今日、はじめての外回り、よろしくお願いします」「お願いします」 今日は彼女とのはじめての外回りの日だ。 あの悪魔の食事会から、大竹さんは少し落ち着いた。もちろん、会社では言葉は柔らかくするよう気をつけているし、ランチにも一緒に行っている。 仕事終わりにも誘われることがあったが、仕事が残っているからと伝えた。 どんな仕事が残っているのか、専門用語を並べれば、大竹さんは何も言ってこなかった。 取引
その二日後――。「えっ。本当ですか?」「ああ。だから黒崎も気をつけた方がいいぜ。今回は俺たちの様子を見ていた他の社員が何人か間に入ってくれたみたいで、大事にはならなかったけど。厳重注意で俺は大竹さんと話せなくなった。本来なら異動みたいだけど、今回は免除だって」 二日目、俺が大竹さんから食事に誘われた時にかばってくれた上司が「セクハラをした」とされ、本部へ呼び出されたと教えてくれた。 告発したのは秘密にされているが、大竹さんしかいないだろう。「ごめんな。俺、彼女と関われなくなったから。他の事情を知っている奴にも引き継いでおく。黒崎とは普通に話しても大丈夫だから」 謝ってくれたが、彼は何も悪いことなどしていない。 嫌がっている俺と彼女の間に入ってくれただけなのに。「俺の方こそすみません。間に入ってくれたから」「いや。違う。運が悪いよな。社長の子どもだからって。マジで甘やかされて育ってるんだろうな」 気にするなと言い、彼は去っていく。 後味が悪い。 この二日間のうちに何度も食事に誘われているが、断っている。 ボディタッチ、身体に軽く触れてくる行為もされているが、かわしているつもりだ。 まさか、気に入らないことがあるとこんな権力を使ってくるなんて。 他の社員にも迷惑はかけられないな。 どうやって対処したらいいのだろう。 大竹さんのせいで、気を遣うことが多くなった。 ストレスも増えていったが、美桜とのメッセージや電話で自分を取り戻せる。 ああ、早く問題を片づけて、美桜と会いたい。 そんなことを想いながら、月日は流れていく。 大竹さんのことを仕事以外では拒否し続けていたある日、残業をしていく俺へ向けて「黒崎先輩。私、入社して三週間くらいになるんですけど。歓迎会もしてもらえなさそうなんです。誰も提案してくれなくて。黒崎先輩、一緒に飲みに行きませんか?」 大竹さんの黒い噂が広まってから、誰も彼女に関わろうとはしない。 巻き込まれたくないからだ。「わかりました。上司に伝えておきます」 部長クラスに伝えれば、嫌でも開かれるだろう。「私、黒崎先輩と二人だけで行きたいです」 誰にも聞こえないように、そっと耳元で囁かれた。 彼女なりに俺を落とそうとしているみたいだけれど、何も響かない。「すみません。彼女がいるので、女性と二人きり
「もう限界ですーー!くすぐったいーー」 結局、五分間は耐えることができた。 体験コーナーから出て来て、一人反省をする。「ごめんなさい。私、お客さんの中で一番うるさかったかもしれないです」「大丈夫ですよ。みんな声をあげて驚いていましたから。それにしても、俺の腕に必死にしがみついてくる美桜の姿が可愛かったです。あんなにも美桜にギュって腕を掴まれたことがなかったので。新鮮でした」 蓮さんは思い出したかのように再び笑っていた。「俺、久しぶりかもしれないです。あんなに声を出して笑ったのは」 どちらかというと、蓮さんはクールで大人な印象だったから。 あんなに笑ってくれることもあるんだ
「わぁ。海だー!」 車の窓から海が見える。 もうそんなに車に乗っていたのかな。 都内から離れたところに来ていたんだ。 車のナビゲーションを見ながら「もうすぐ、着きますよ」 蓮さんが教えてくれた。 目的地の水族館、土日ともあり混雑していたが、待つことなく駐車することができた。 車を駐車させる蓮さん。 うしろを向く蓮さんもカッコいいと思ってしまったが、運転は優しいし、切り返しを何度もすることなく一回でバックで駐車できるし、なんでこんなに何でもできてしまうんだろうかと思う。 私の視線に気がついたのか「どうしました?」 彼は首を傾げた。「運転も上手だなって。駐車もすぐ出
土曜日、旅行の当日になった。「忘れ物ないかな?」 ベッド周辺を見渡す。 メイクもしたし、髪の毛も整えた。 あとは蓮さんからの連絡を待つだけだ。 約束の時間が近づき、スマホをじっと見てしまう。 メッセージが届き、開くと蓮さんからだった。<アパートの前に着きました><今すぐ行きます> 返事をして、アパートの鍵をかける。 車の外で蓮さんが待っていてくれた。「荷物、重くないですか?」 一泊二日の荷物にしては、かなりの量になっちゃった。 あれもこれもと心配になってしまい、ボストンバックはパンパン状態だ。 蓮さんは軽々と私のバックを持ってくれ、車のうしろに置いてくれた。
黒崎さんのマンションに着き、タクシーを降りる。 タワーマンションと言うのだろうか、三十階以上はあるように見えた。 田舎から出てきた私にとっては、一度は住んでみたいと憧れを抱くような高層マンションだ。 こんなところに住める黒崎さんって、すごい人なのかな。 彼のうしろを歩き、マンションの中に入る。 暗証番号のようなものを彼が入力すると、エントランスのドアが開いた。 エントランスには管理室のようなところがあり、中は見えなかったが電気がついていた。 エレベーターに乗り、彼は二十五階のボタンを押す。 エレベーターを降りるとホテルのようなタイル張りの長い廊下が続いていた。 彼が







